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袁岳氏(「Horizon Group」取締役会長兼総裁)
みなさま、こんにちは。「地方対話」をはじめます。前半は地域交流について議論しますが、両国とも震災を経験し、いろいろと共通する話題があるかと思います。この機会に意見交換をしようと思います。中国側のパネリストは、陳昊蘇さん(中国人民対外友好協会会長)、白剛さん(中国共産党四川省成都市委員会副書記、市長)、王長遠さん(中国市長協会副事務総長)、高建国さん(中国災害防御協会副事務総長、災害史専業研究委員会主任)です。
増田寛也氏(株式会社野村総合研究所顧問、元総務大臣)
こんにちは。昨年に引き続き、この分科会では私が司会を担当します。私が4年前まで知事をしておりました岩手県も東日本大震災で被害を受けました。中国から頂戴した温かい支援に対して御礼申し上げます。中国でも四川大地震がありました。日本側からは今回の地震を直接経験された市長が出席されており、中国側からも数年前に地震を経験された市長もいらっしゃっています。日中共同で情報を公開し、共有化を図ることは大事です。有意義な場にしたいと思います。日本側の出席者を紹介します。泉田裕彦さん(新潟県知事)。森民夫さん(全国市長会会長、長岡市長)。奥山恵美子さん(仙台市長)。以上3名です。
袁岳氏
それでは進行方法をご紹介します。中日双方それぞれのパネリストから5分ずつスピーチをしていただきます。質問がある時にはお互い質問してください。交流の形をとります。会場からも質問を受け付けます。
陳昊蘇氏(中国人民対外友好協会会長)
中日両国には、災害に対する人々の反応や運命に対する感じ方については、それぞれの違いがあります。自然災害が起きるということは、自分が苦難を受ける場合だけではなく、相手に対するサポートをするときでもあります。四川大地震のときは日本側から温かい支援を受け、今回の東日本大震災のときは中国側がサポートしました。中国側の支援を行き渡すという日本の積極的な対応もしていただきました。日本側の民衆の反応にも感服しました。これは中日両国の友好に貢献するでしょう。
とはいえ、震災後、中日双方ともに、それぞれ問題が起きました。われわれが期待していることとは距離がありましたが、問題は無視してはいけないでしょう。かつて、1923年、日本には関東大震災が起こり、中国は民間支援をしました。当時、日本政府は中国から支援を受けましたが、その後の歴史において両国の関係が悪化し、民間協力だけでは足りないということに気付いたわけです。これは大きな教訓です。民間的で自発的なものも大事ですが、大きなギャップがあることもあります。地方から民間、中日両国が発展するには、支援について互いに民間と政府が協力し、民間と政府の相互理解が必要です。中央政府同士は協力し、潜在的な問題を解決します。それによって、民間からの支持もあります。
第二に、地方政府の交流が行われました。中米では中長期的な交流があり、その会議は定期的に行われています。これはこれからも定期的にやるつもりです。しかし、中日の間には国交回復以来38年の歴史がありますが、もっとよい相互発展の可能性があると思います。この「北京‐東京フォーラム」では何回目かに地方分科会が新設されました。日本の地方政府の方々が積極的にこのフォーラムに参加し、これを元にして力を入れれば、さらなる成果が得られると思います。ありがとうございました。
袁岳氏
ありがとうございました。
それでは、日本側からスピーチをお願いします。
増田寛也氏
それでは日本側からの特別ゲスト、新潟県知事に就任する直前に地震が起きた泉田知事からお願いします。
泉田裕彦氏(新潟県知事)
ただいまご紹介をいただいた泉田です。簡単な紹介をしますと、新潟県は日中国交正常化をした田中角栄の故郷です。中国から贈られたトキが佐渡で見られます。日中の架け橋を日々感じられる場所で、最も中国の方に親しみを感じてもらえるところです。
新潟県は、最近何度も震災の被害を受けましたが、災害協力もあって、国家間にはなんら問題を感じず、私が上海に行った時も、なんの問題もありませんでした。上海で手厚く歓迎を受け、日本の総領事館からメッセージもありました。こういった地方機関の交流はすごく日中関係にいい影響をもたらします。もっと地方の間での交流を促進すればよいと考えています。
3月11日の東日本大震災にも中国からの支援をいただきました。寒い場所で、原子力災害の影響もあるのに、支援をいただいて、日本国民も本当に感謝しています。特に震災のとき、「最後までがんばって手助けする」と中国人の救援者に言っていただいたことに感謝申し上げます。新潟でも何度も地震がありました。私の前任者が退職する際の移行期にも地震がありました。原子力発電所での被災もあり、風評被害もありました。中国側から温かいご支援もあり、現在でも交流があります。とくに技術的な部分とソフト的なものをご報告します。
技術的なものとしては、教訓があります。いかに土砂崩れを防止するかというものです。新潟県知事は土砂崩れ防止に関する会議の会長を務めています。2007年の中越沖地震の際にはGISの賞をいただきました。というのも、この地震によって、初めてGPSを使ったデータを活用し、避難者がどこにいるかという状況を把握したり、大事な工場などがあるところも基本的にGPSを使い、約半年で復興したりしました。このスライドを見ていただくと、どの避難所にだれがいるかがわかります。青色は給水ができるようになったところです。道路、ガス管、水道管をどのように直すかが課題でしたが、それぞれの自治体が一体となって直すことができたことが大きな成果だと思います。約2週間で全面復旧しました。
もう1つは、原子力発電所の被災が大きかったことです。その点について、今回の東日本大震災では日本政府の情報開示に関する対応に問題があったと思います。情報をいかに出すかは人の命や将来の信頼にもかかわります。牛肉などにも放射性物質が付着しているという情報の開示が遅れてしまっています。もし早い段階で放射性セシウムを取り除いておけば、もっと被害を抑えられたはずです。当局の情報提供が遅れてしまったことが大きな問題です。ソ連で起きたチェルノブイリの事件の時よりも実は、日本の原子力発電のところは防ぎがゆるくなっています。もし事前にこういうことを言っていれば、もっと事前に防ぐこともできます。正しい情報をいかに出すかが大事です。
ここで地図を見てください。放射線量のシミュレーションを大学教授がまとめたものです。新潟は偏西風の影響を受けませんでしたが、この情報を早く出していれば、どこがまずいかすぐわかったはずです。観光の面においても、これを早く出さないと観光客にも危険です。正しい情報を早く出し、評価を皆さんにしてもらう。そういう状況を作ることが大事です。「大丈夫です」などの安全宣言をするだけではダメです。ちゃんと日本政府が情報を発信する。どこが問題なのかを見た上で、判断していただきたい。情報発信を透明性の高いものにすることが重要です。ご清聴ありがとうございました。
袁岳氏
確かに情報についての関心度は高いです。震災が起きた地元だけではなく、周りの地域も情報に対して関心が高いです。情報公開は、民衆から信頼されなければいけません。次に四川大地震の経験がある白剛さんから報告があります。
白剛氏(中国共産党四川省成都市委員会副書記、市長)
御来賓の皆様、こんにちは。成都の状況を紹介できることを嬉しく思います。成都は交通などの中心地であり、国家レベルの経済開発区などでもあります。アメリカやドイツなど9つの国が領事館を設置し、国際線も開通しており、中国で最も経済力のある都市の1つと称され、最も発展の早い都市とも言われます。
2つ目、成都は四川省の中心都市です。インフラ整備も非常に進み、被災地のインフラ整備はそれ以前より改善されました。成都がこうした成功に基づき、モデル都市とされ、経済の発展も叶いました。地域生産や固定資産など、いろいろな面で大きく発展しました。建設は国レベルが援助し、加速的に内陸開発地、ハイブリットの開発地として発展し、日本企業も多く存在します。日本から環境保護を学べることを願っています。ぜひ迅速に関連情報を教えていただくとうれしいです。ありがとうございました。
増田寛也氏
力強い発言でした。日本側ですが、長岡で災害復興していただいた、森さん。
森民夫氏(全国市長会会長、長岡市長)
私は3つのテーマをお話しします。1つは東日本大震災復興構想会議に関することで、私はそのメンバーに入っていますので、その概要をお話しします。一方、全国市長会長として復興支援をしていますので、その話もします。3番目は四川大地震を通じた長岡市と中国の交流についてです。
ではまず、政府の復興構想会議についてです。東日本の復興に関する7原則があります。原則1は、多くの方を追悼して次の世代に継承していくことが大事だというものです。原則2は、被災地の広域性、多様性があります。広範な地域のさまざまな被害がありました。コミュニティ主体で市町村が中心になるべきだということです。原則3は、潜在能力を生かして技術革新を伴う復旧・復興を目指すというものです。原則4は、災害に強い安全・安心の町、自然エネルギー活用型地域の建設を進めることです。原則5は、大震災からの復興は日本経済と密接であるということです。原則6は、原発被災地への支援と復興にはより一層のきめ細やかな配慮を尽くすことです。原則7は、国民全体の分かち合いが重要であるということです。その中で具体的に提言をしましたが、8つの特徴があります。1つ目は減災の考え方です。災害を完全になくすのではなく、減らすということです。2つ目は復興の主体は市町村であるということです。国はそれを応援します。3つ目は被災地を5つの類型に分けることです。4つ目は、特区制度の活用です。5つ目に臨時増税を設け、臨時増税で賄うということです。6つ目は、原発被災地への一層のきめ細やかな支援です。7つ目は再生可能エネルギーの導入促進です。8つ目は農林水産業の高付加価値化と集約化での再生です。速足でご紹介しましたので、ご理解いただけるかわかりませんが、このような形になっています。
2つ目のテーマですが、東日本大震災に対する全国市長会、全国町村会としての復興支援をしています。約800の事例があります。このスライドで言うと、被災市町村が左で、右が派遣市町村です。総務省が間に入って被災市町村への派遣を行います。現在1200名の職員が東北で活動しています。3000人の派遣申し出がありました。市と市がパートナーシップをとり、1つの市町村を他の市町村が応援するという形です。それから、ホームページを立ち上げて、支援がほしい市町村と被災していない市町村での支援申し出の市町村をネット上でつなぐこともしました。このような形で全国市町村会、全国町村会も応援しております。
3つ目のテーマですが、四川大地震を通じた長岡市と中国との交流です。長岡市と中国は震災後に交流し、関係者には何回も長岡に来てもらいました。今も交流が続いています。合計350人が13回に分けて長岡市を訪れました。私自身も支援金を渡しに四川に行きました。地震を通して多くの交流があったのです。日中復旧センターで私が演説をしたものです。都江堰市の図書館には森ビルが無償で寄付したものもあります。長岡市もかなり被災しましたが、地震で長岡と中国の交流が促進し、長岡の経済発展にも貢献しました。仙台市長さんもこれを機会に中国との交流を進めていただければと思います。ありがとうございました。
袁岳氏
ありがとうございました。震災直後だけでなく、森市長は何回も中国に来られて、多方面で交流してこられました。両国の首脳ももっと見習ってほしいです。それでは中国市長協会の王長遠さん。
王長遠氏(中国市長協会副事務総長)
こんにちは。今回のフォーラム開催に心からお祝い申し上げます。遠方から見えた日本の方にも御礼申し上げます。
さて、中国では、改革開放以来、都市化が世界から注目されました。1978年以降、都市化のスピードが速くなり、2009年になって都市化が46.6%にまで進みました。昨年、人口調査が行われて、都市化はさらに高くなっていることがわかりました。現在、都市に住む人は6億6000万人になり、人口の49.18%になりました。中国の都市化はさらに発展しますが、そのプロセスが重要な時期になっています。いずれ都市化の比率は50%を超えると思います。多くの国々で、都市化が進めばいろいろな問題が起きてきました。たとえば、就職、交通、住宅、貧富の差、環境に問題が起きています。中国は特別な事情があって、人口が多い割に資源が無いので、集約しなければいけません。集約して土地を利用し、水、エネルギーも集約しなければいけません。また、公共安全と防災の問題があります。日本と似ていることがあり、都市中心部の人口が多く、それによって自然災害が起きたときの危害が大きく、集約により被害が拡大する恐れがあるということです。機能も複雑になり、問題が起きやすくなります。都市災害には伝統的な災害と非伝統的な災害の2つがあります。前者は火災、津波などです。後者はテロリスト、爆発、伝染病などがあります。たとえば、2005年のハルビンでは水の汚染があり、雪の災害がありました。都市が防災能力を高めなければいけません。この21世紀、2001年には9月11日にテロ、2005年にインド洋の津波がありました。それによって大きな災害があり、都市も被害を受けました。
わが国では、5カ年計画で減災・防災の計画を立てています。この計画の中で減災・防災フォーラムが行われ、そこで行動宣言を発表しました。都市の安全の問題に対して、都市の減災・防災の能力を高めようとしています。都市のインフラ整備をさらに高度化し、質を高めます。まず計画を立てて科学的に考えます。都市の減災・防災の緊急時対応のメカニズムを考えます。安全管理の要素をコミュニティに入れ、学校、工場、会社、農村などにその考えを伝えます。657の都市で都市発展報告を出しています。それが重要な内容です。専門家による調査をお願いし、諮問を行い、総合的な問題を研究して、とくに防災問題に関して助言をいただいています。減災・防災において、日本にはたくさんの経験があります。森市長の発言にもありましたが、こちらも日本からの経験を学びたいと思っています。互いにもっと学ばなければいけません。たとえば、日本には大地震が多くあり、参考となる経験をしています。震災で残された建築物は中国なら撤去ですが、日本なら経済のことを考えて復興できるなら復興するという考え方です。中日協力は、交流する貴重な場と考えており、都市防災についてもっと知りたいと思っています。陳さんがおっしゃったように、中日の都市交流を推進することに賛同します。防災対策についてもっといいシステムを作り、もっと交流の機会を増やしましょう。ありがとうございました。
増田寛也氏
日中両国間で防災協力のプラットフォームをつくるということでした。きっかけになればと思います。次は仙台市長の奥山さんです。震災から5カ月しかたっておりませんが。
奥山恵美子氏(仙台市長)
このような機会を設けていただき感謝しております。私は、現在の復興がどこまでいったのかを簡単にご報告します。仙台の人口は100万人で、800平方キロメートルの面積に住んでいます。港、新幹線、電車などがあり、観光客が多く来るところです。しかし、今回の震災で観光客が減ってしまったことが悩みです。このスライドの赤い線の部分が、津波が届いたところです。高速道路によるせき止めがあったために一直線で津波が止まりました。高速道路がなければもっと被害は広がったでしょう。しかしそのお蔭で、300ヘクタールが全部塩水となり、そこで農業ができなくなってしまいました。農業ができるように戻すことが大きな目標です。スライドの青い点は住宅地の被害で、10件以上被害を受けた場所が65か所あり、それを表しています。
これは職員が撮った写真です。下水処理施設の壊滅する瞬間の映像です。長岡での教訓も勉強させていただきましたが、この写真のようにずれ落ちてしまって、どうしようもない状況です。仙台に限らず、岩手、茨城まで、太平洋側一体に被害があります。名取市には仙台空港があります。仙台の隣の町で、温家宝さんがいらっしゃって、大変元気付けられました。魯迅先生がいらしていたことで有名です。大変多くの中国の方にお見舞いに来ていただき、感謝しております。今回は仙台の水道の半分がダウンし、ガスの復旧にも時間がかかりましたが、4月いっぱいで電気・ガス・水道などを回復させました。それでも観光客はあまり増えませんでしたが、祭りによって仙台は元気であることを伝えました。
今回仙台の支援の中で3つの特徴がありました。1つは、水道やガスの関係の方が部門を乗り越えて協力していただいたことです。今回の震災は被害が大きいので、水道、交通の部門別では復旧が進みませんでした。2つ目は対抗支援という1対1で対応した自治体援助の一部が取り組まれたことです。名古屋市が陸前高田市を支援することになりました。3つ目は全国市町村会でのHPで支援したい人と支援がほしい人とのマッチングをしたことです。250人以上に仙台へ支援に来てもらっています。これは仙台の姉妹都市も合わせて、韓国や中国の長春などからもご支援をいただいております。災害との関係では、四川大地震で救援物資を差し上げました。今回はこの交流を踏まえ、四川から水、毛布などもいただくなど多くのご支援があり、お蔭さまで都市のインフラはおおむね復旧しました。100万人のうち10万人が避難所にいましたが、徐々に減ってきています。世界からの支援も受けながら、もう1回元気になった仙台にみなさんに来ていただければと思います。ありがとうございました。
増田寛也氏
政治の中心の仙台が復興するという話でした。
袁岳氏
最近の状況を見ると、印象深く感じました。次に高建国さんのスピーチです。
高建国氏(中国災害防御協会副事務総長、災害史専業研究委員会主任)
今回、私は2回目となるフォーラムへの参加ができ、とてもうれしく思っています。これをチャンスに、まず1週間前の調査を紹介します。再建の経験は何でしょうか、災害の復興ではどこに重点を置くべきかという2点の質問があります。あれこれ調査を行い、フォーラムから合わせて20名から回答を得て、まとめてみました。このスライドは調査票の状況、会議の状況です。個人ではなくいろいろな方から協力をいただいて皆でまとめたものです。地震局からもご協力をいただきました。
まず再建の経験は何でしょうかということですが、地震後、国務院が前例のない条例を出しました。図書館、文化会館など、人口の密集する公共施設には、高い耐震基準を設けます。学校や病院も耐震力が重要で、そこを重点に置いています。再建は単純に以前に戻すだけではいけません。例えば、大胆に観光の地として発展させて、観光により震災以前よりも収入が増えたという例もありました。
第二に、震災に対してどこに重点を置くかということですが、もちろん人間の安全を優先的に考える必要があります。いろいろな方法がありますが、印象に残ったのは、日本人が地震のときに冷静に対応したことです。中国では様々な商品が買占めで売り切れてしまう可能性があります。これも1つの研究課題として取り上げる価値があります。
ここで、私は3つの提言をして、日本の専門家の皆様の参考になればと思います。まず1つ目は、日本では重要な課題は核汚染の防止と環境、安全なエネルギーなどで、総合的な地域安全計画を立てることです。再生可能エネルギーや新しい産業を作り、新しいライフスタイルを導いて、新しい文明理念と発展モデルを作ることが必要です。
第2に、震災後の地理的ロケーション選びに関する情報が重要だということです。崖崩れの可能性がある地域を避ける必要があります。津波の高さと強さを確認する必要もあります。このスライドのこの黄色の部分は津波の被害を受けた地域です。
第3は、火山などがある地域は避けるべきだということです。緊急対応の協力システムを作ることが必要です。もし中日が協力すればwin-winの関係を作れます。東日本大震災の例では、比率から行っても計算可能だと思います。私が神戸大学で1997年から98年に仕事をしていたときに、このような研究課題に取り組んでいました。スライドのこの図を見ると、巨大地震が東に移動している傾向があると考えられます。これまで発生したものは大きな三角形がありましたが、これから東北地方に移動する可能性があります。もちろん、前のパキスタン地震と北京の地震の時間の差を計算して考えれば、結果がわかってくると思います。学者の推測では津波の高さが20、30メートルに達することは予測されていました。この地図でも東の方に、地震や津波の危険が移っていることがわかります。
歴代の秘書長は、減災することが何よりも大事だと言っています。日本の古人も「災いは忘れた頃にやってくる」と言っています。しかし、私たちは順番を間違えています。減災ではなく対策をとっています。中国では地震前の予測ができたのは1975年が初めてです。観測スポットを点在させ、それぞれのスポットがデータを観測しました。動物園も観測地点になっています。以上です。ありがとうございました。
袁岳氏
ありがとうございました。いろいろな分析をしていただきました。防災において、いかに協力するかという話でした。
さて、簡単な質問コーナーを設けたいと思います。1つめは中国側、2つ目は日本側です。特に防災に対して、中国は少し弱いように思います。もっと意識を高めなければいけないと思います。日本側では、今回の地震で市長の働きが大きかったようですが、政府が弱いように思います。実際にそうなのか、メディアが伝えていないからなのか、この影響について聞きたいと思います。
王長遠さんいかがですか。
王長遠氏
全体的に言うと、都会においても防災・救済については重視してきました。防災・救済は非常に高度な内容になっています。都会でも日常的に専門分野の担当が学校に行って、多くの都会で生徒が地震の避難訓練を経験しています。われわれ市長は確かに防災・救済においては、今後の計画でもっといいメカニズムをつくるべきです。都会にはいろいろな災害があります。自然災害、人的災害、工場の事故もあります。その事故は個別ですが、ただ、いろいろな都会で全体的にみると、共通している点があります。その共通している点を、個別の案件を総括して都会計画、都市の全体の防災計画に反映するかどうかが重要なポイントです。市長協会ではその教育、講習がありました。各市長が日本との交流を通じて、日本から学びたいです。日本においては、災害の予防と減災・防災について、重要な位置付けをしています。以上です。白剛さん、補足ありますか。
白剛氏
教訓が無かったところにとってはたいへん勉強になりました。地震によって成都で大きな被害がありましたが、致命的な被害はありませんでした。誰も死ななくて、奇跡です。減災については今まであまり認識がなかったのですが、今回の東北大震災で高まりました。地震や津波で大きな教訓を学びました。それによっていくつかの措置をしました。建築基準です。耐震能力の高い建築基準を作り、なるべく人的被害をなくすべきです。メカニズムをより高度化する必要があります。あと、人的トレーニングが大事です。いろいろなトレーニングがありますが、避難所を創設することで、あらかじめ被害を防げます。それから備蓄が大事です。リアルタイムに被災地の人々への食の提供が可能になります。そして、余力を持つべきです。核汚染が起きたときに、備蓄があれば本格的に防災できます。政府レベルで日ごろ、防災の政策をとっていれば、問題なく対応できます。
袁岳氏
次に日本側です。
増田寛也氏
津波や地震の被害が非常に大きかったと同時に、原子力災害もありました。そして、朝のシンポジウムで五百旗頭さんもおっしゃっていたように政治の弱いときに災害が起きました。この点について泉田さん。
泉田裕彦氏
もう1つ制度的な問題があります。アメリカにはハリケーンなどの被害が大きい自然災害があり、国が対応していますが、日本はできていません。核についてもそうですが、やはり欠けているものはあると思います。
森民夫氏
日本では政府と地方自治体の違いがあります。復興構想会議は政府のリーダーシップがあります。今年の目標は国を親とすると、地方は国から金をもらいます。日本の場合も制度的に弱いのですが、相当強い意志でやっています。地方に自由にやらせたほうがいいのではないかと思います。
増田寛也氏
発言の中で、地震で被害を受けたあと、観光の町にして、その市民の周辺をよくしているという報告がありました。いずれにしても、どういうふうにして復興するのかはどこの地域でも難しいです。地震のあったときの時点にそのまま戻すのではなく、違う形にするというやり方があります。しかし、日本では土地の所有権が強いです。津波で被害を受けたからといって、別のところに移すのは日本では難しいことです。漁業をしているとすると、そこで仕事がしたいという人がいて、なかなか移転できないことが多いのです。どういう町に作り変えていくかが課題です。制度は両国で違うところがありますが。中国で自然災害が起きたあとの町の再建や復興について何かあれば教えてください。
陳昊蘇氏
今回の日本の大震災では、土地を失うことになって、日本の親戚の話では、私たちのところまで移ってきた人もいます。震災後の現在でもまだ4万人が避難所にいるそうですから、まず住宅問題を解決しなければいけません。それからあとの問題を解決します。目下の課題としては、現政府が立ち向かわなければいけません。仮設住宅でも日本は設備が整っています。ただ、永遠に使うものではありません。増田先生の話でもあったように、たとえば寒い冬でも山の木などありふれたものを焼く手段はどうしてとらないかというと、他人のものだからです。日本の密度は比較的低いと思いますが、中国のように密集していれば、土地を効率的に利用できます。
袁岳氏
ありがとうございました。増田さん、総括お願いします。
増田寛也氏
自然災害は減災と言われる通り、決して無くなりません。でも恐れず、誠実に対応しなければなりません。今後につなげるヒントをいただきました。これからお互いの交流が、かなり広がっていくと思います。このシンポジウムで、課題の共有と、経済発展が深まることを期待したいと思います。中国側の方々にも、しっかりコーディネートしてくださったことに感謝します。
袁岳氏
日本側の専門家にも感謝します。減災・防災の企画を提言したこと、中国の立場から、減災・防災の交流について学んだことがあると思います。
前半はこれで終了します。ありがとうございました。
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