.
「地方官同士で交流を促進することが国の経済発展にも重要だということで昨年から地方分科会が始まりました。win-winの関係を築くために何ができるかを探る場にしたいです。」との増田寛也氏の挨拶から分科会が始まりました。
戴玉林氏は、さらに交流を深めたいとして次の点を挙げました。
1.企業間における技術サービスの共同利用
2.省エネ、環境保全技術
3.物流の強化
4.港都市との連携強化
5.日本の地方各都市と連携し、win-win の関係をつくること
6.文化交流の促進
そして、「各地方の共通の目標は、経済発展であります。私は、日中の貿易関係の拡大に非常に楽観的で、今後新しい段階に入ることを望んでいます。当フォーラムの成功を祈ります。」と述べました。
次に山田啓二氏が「地方対話の意義と今後の展開について」話をしました。日中両国の民がお互いの印象が悪いと述べている人が多いことを残念だとし、そのような厳しい事態を打開する大きな原動力になるのが、この地方対話ではないかと提案しました。そして、「地方とは田舎ではなく、具体的、実体的な行政を担い、生活に肉薄した交流がある」ということを強調し、観光や青少年交流等を例に挙げながら、大連と京都の関係について述べました。そして、「地方対話のよい点は、経済、観光のwin-win関係を作っていく上で、点ではなく面で交流を続けられるということ。」と述べ、観光交流を通じて文化の理解を深め、両国のface to faceの人と人との関係が生まれてくることを魅力として挙げました。このように、地方対話は曇り空の日中関係に光を挿す可能性を持っており、モデル的な交流関係を作るための試みであることを山田氏は訴えました。
また、「都市の発展とチャンス」というテーマについても意見が出されました。ここ30年の中国の都市化の進展のプロセスはかつてないほど大きいが、その弊害として、多くの都市は同じ発展パターンで個性のない同じような都市になっていることが指摘されました。そのような中、人口集中、企業集中などの分野で日本から学べることが多かったとする意見もあり、これからの中国の課題として、経営やサービス面の不足が指摘され、こういった課題について対話をすることに意義があるとされました。
香山充弘氏は、「金融危機を契機として、日中関係が深くなること、アジア的な経済モデルの支配的にしていく必要があるとの認識が深まったこと」と「鳩山首相が、東アジア共同体を目標に掲げたこと、これが日中共通の目標として進めていく時期に入ったこと」を背景に挙げ、そのような中、地方政府は何ができるかについて語りました。香山氏は、そのことについて、「共同体の機運を盛り上げること」や「共同体ができたかのように、先進的に交流を進めること」等を挙げました。具体的な例として、中小企業の海外進出サポートや青少年交流を提案しました。
白庚勝氏は、日本語と雲南の語彙が似ていることを例として挙げながら、雲南と日本の歴史的つながりについて述べました。この事例を使って、東アジア共同体には、感情面での障害を乗り越え、心の基礎、文化の基礎、共同の発展方向が必要ということを述べました。そして、白氏は、アニメや武術といった文化交流の話を挙げ、工業のみでなく、文化やその他の領域の交流を深め活路を見出していこうと語りました。
森民夫氏は、日本が地方分権を目標に掲げている背景を述べました。そして、日本の場合、市長は選挙で選ばれることを紹介しました。これは大衆迎合の面を否めないが、地方ニーズに敏感になれるというメリットを述べ、さらに、団体自治=行政と住民自治=NPOのうち、住民自治を重視したいと語りました。そして、長岡地震の復興作業の話を取り上げ、下から立ち上がるパワーの重要性を指摘しました。最後に、中国は日本より地域性があり、経済発展しても地域を大事にして欲しいと締めくくりました。
李崴氏は、今回のフォーラムのテーマである金融危機を絡めて話がありました。今回の金融危機は、目下経済の回復はまだ道のりの長いプロセスだが、経済の大幅衰退は避けられた、このような中で協力分野を開拓していくことは、ともに危機を乗り越える上で重要であると述べました。ポイントとして、李氏は3点を挙げました。1つ目は、経済危機の中での温暖化対策です。2つ目は、経済危機が地方企業の構造転換をしたことで、李氏は例として広東省を挙げました。広東省は外向型の経済、外需依存型で、その依存度は130%に上りましたが、この1年の構造変換を経て80%のGDPに至りました。3つ目は、グローバル化です。循環型経済の挑戦に直面し、大きな発展の潜在力があると考えられるため、企業提携を拡大し、連携を強めていきたいと述べました。最後に、「中央の交流はマクロ、地方は中身のある実効的な交流」であるとまとめました。
青山祐治氏は、地方間交流の意義について話しました。「中央の外交、民間の交流に並んで地方の交流は大事」だと述べ、「外国との交流は、外国の社会、歴史、文化を知り、自分の地域と比較できる。経済面の交流、環境問題など国内のみでは解決できない問題などに地方交流は大事な役割を果たす」とまとめました。具体的な事例として、青森と中国のことを取り上げ、 IT関係の人材育成のため、ITビジネスプランに取り組んでいると紹介しました。
湯超穎氏は、管理人材育成の重要性について話をしました。技術イノベーション管理の教育は、多方面の連携が必要であり、人材育成の環境整備が必要だと述べました。その中で、地域協力の深化なども大事であるという認識を示しました。
森民夫氏は、災い転じて福となすとして、地震後に四川省と交流が始まったことを語りました。自身の経験として、災害を乗り越えるために、インフラの復旧、住まいの確保、仕事の確保を行政の仕事とし、住民の意欲の再生を目指したことを取り上げ、さらに、四川省が地震後に3回も視察に来たことを紹介しました。そして、「都市の元気には2つのキーワードがある。1つは交流。日本だけでなく世界の都市との交流をして元気になる。2つは市民自身の創意工夫をどう引き出すか。市民が自ら元気になる力をどう引き出すかが行政の力だと思う。」と締めくくりました。
陶斯亮氏は、地方交流の促進と協力分野の開拓について述べました。まず、現在200の姉妹都市が中国と日本を結んでいることを述べ、政府間関係に左右されない地方都市間の交流があることに触れました。次に、女性市長が700人いることや工業化が完全に終わっていないところで環境意識が高まっていることを語りました。そして、管理の意識が高まっていることを取り上げ、社会に対する責任感が強くなってきたことを述べました。
齋藤彰氏は、都市間で具体的に行動するフットワークとして、どのようなものがあるかを語り、大連と舞鶴が友好都市であることを例に挙げました。ここでの具体例として、2002年に結んだ水道技術を提供する国際事業を取り上げ、これは技術を与えながら交流を進めていくという、大連と舞鶴が創り出してきた関係であることを述べました。
陳昊蘇氏は、都市協力と関係がある議論として、「都市間交流」と「上海万博」を取り上げました。前者の話題では、積極的にプラットフォームを作っていきたいという話がされ、後者の話題では、上海万博のテーマが都市の発展であると述べました。これらを通じて、中日協力を推進していきたいと締めくくりました。
増田寛也氏は、地方間交流のプラットフォーム作りや地方政府の役割について語りました。前者については、「現場で色々な問題に直面した時に、様々なところにお手本を求めて解決を探るのが最もいいやり方だろう」と語り、その重要性を述べました。そして、後者については、青森県を例に挙げながら、「高齢化と人口減少社会によって構造変化している中、中小企業も消費者を求めて経済的には外に向かい、新たなビジネスチャンスを得たいと考えている会社が多い。そこで、ビジネスチャンスを結びつけるために地方政府がオーガナイズすることが大事だろう。」と主張しました。また、この分科会が都市の発展、成長、管理について多くの知己を得られる場になって欲しいと希望を語りました。そして、上海万博の成功を祈ると述べて、発言を締めくくりました。
山田啓二氏は、「都市の発展と挑戦」というテーマを提起しました。京都を例に挙げ、都市管理について述べました。京都の場合、文化と環境を注目しながら、都市の発展を抑制する方向に進んでいると指摘し、その中のポイントとして次の点を挙げました。1.一極集中。過疎過密の問題。2.景観。3.汚染問題と環境戦略。4.都市を支える周辺部にしっかりとした力を蓄えさせる。また、「これからの時代は、心の中の、内在的な問題に目を向けなければならないと思う」と未来の方向性を示しました。
孫尭氏は、黒竜江省の話を取り上げました。黒竜江省は、木材や石油などの資源が豊富で、東アジア共同体を作る上で、潜在力の高い省であると述べ、さらに、冬の氷祭りや氷の遊園会など観光資源の豊富さも主張しました。
松本盛雄氏は、今後いかに実質的な利益を求めていくかについて述べました。それぞれの都市で状況、環境が違う中、何が一番必要かを追求することが大事だと指摘した上で、都市と都市の協調の必要性を主張しました。その手段として、いかに都市間の接点を作っていくか、ビザの問題の解決、在留邦人のさらなる活用、同窓会の活用など、具体案を述べました。
陳永明氏は、地方間の和を保つことを述べました。地方の新たな展開の方向として、「和を保ちながら豊かになっていく」ことを示し、「我々は和を保ちながら、個性を創り出しながら社会の調和をすすめていくべきだ」とまとめました。
最後に、香山充弘氏は、「ぶれることなく本当に有効な地域交流を担えるのが地方都市。その意欲が高い人がたくさんいることがわかったのは大きな収穫である」と述べ、分科会を締めくくりました。
言論NPOは2001年に設立、2005年6月1日から34番目の認定NPO法人として認定を受けています。(継続中) また言論NPOの活動が「非政治性・非宗教性」を満たすものであることを示すため、米国IRS(内国歳入庁)作成のガイドラインに基づいて作成した「ネガティブチェックリスト」による客観的評価を行なっています。評価結果の詳細はこちらから。