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分科会「安全保障対話」には、日本側から明石康氏(元国連事務次長、NPO法人日本扮装予防センター会長)、佐々江賢一郎氏(外務省外務審議官)、中谷元氏(衆議院議員)、仙谷由人氏(民主党前政調会長)、西原正氏(財団法人平和安全保障研究所 理事長)、高原明生氏(東京大学大学院法学政治学研究科 教授)が参加しました。中国側からは、呉建民氏(国際展覧局名誉主席)、趙和平氏(国家地震局副局長)、呉傑明氏(中国人民解放軍国防大学・軍隊建設および政治活動部副主任)、呉寄南氏(上海国際問題研究所学術委員会副主任、研究員)、劉江永氏(清華大学国際問題研究所学術委員会副主任)が参加しました。
司会は、若宮啓文氏(朝日新聞社コラムニスト)、金煕徳氏(中国社会科学院日本研究所副所長 教授)が務めました。
冒頭、司会の若宮氏から、「『安全保障対話』は前回から新設されたが、たいへん率直な議論がされたので、ぜひ今年も、そしてできれば来年以降も常設の対話にしよう」という経過報告があり、前半では日中双方の防衛政策に関する考え方、後半では災害協力などを中心にしようとテーマが設定されました。
中国側の司会者である金氏は、「この間の中日関係の変化は大きく、軍艦の相互訪問や武官同士の交流も再開され良好な政治環境の中で率直に意見交換できる」としつつも、「安全保障の問題については大きな食い違いが存在し、今回の日中共同世論調査でも中国が中日関係を楽観視する一方で、日本側には中国に対する厳しい視線が見られた」と報告しました。
それを受けて基調報告が始まり、中国側の呉傑明氏は、中国の国防政策について、「国の安全と統一の維持が目的であり、覇権を目指すものでは全くなく、いかなる国に対しても攻撃の意思を持たないものだ」と説明しました。「しかしこの使命を果たすためにはいまだ人民解放軍の近代化水準は不十分であり、今後とも近代化努力を進める必要がある」としました。
その一方でPKOのような平和維持活動や国際援助活動も重要であるとしつつ、防衛白書の発表によって透明性を高めているという中国側の努力にも触れ、「国民一人当たりの軍事費は国際基準に照らしても低いもので、中国脅威論は全く当たらない」と断じました。
それに対して西原氏からは、「日中の防衛交流が進んではいるが、中国艦船の寄港地が首都・東京であるのに対し海上自衛隊の寄港地が湛江(広東省)という地味な場所であったのはなぜか」「中国の防衛白書を見ても軍事費の内訳が非常に簡単であり日本のそれとは対照的である」「軍事費の増大について防御的とされたが、長距離ミサイルや核兵器など戦略的、攻撃的な軍備を増強しているのではないか」などいくつかの疑問が呈せられました。
趙氏は、「北東アジアの安全保障情況が好転している」としつつ、問題点として「日本側の中国に対する猜疑心」「安全保障メカニズムの欠如」「残像する緊張的なイシューの存在」を指摘しました。また、これらを解決するためには、相互信頼、相互交流、共通利益の発展が必要だと論じました。
これに対して中谷氏は、「防衛交流は進んでいるものの、ひとつの事件が信頼を根本から揺るがす場合がある」と指摘し、中国潜水艦の日本領海内の活動などを例に挙げ、シビリアン・コントロールや政府と軍中枢との意思疎通の状況を糾しました。
また佐々江氏は、「両国間の関係が一人の指導者や事件によって左右されるような脆弱なものであってはならない」とし、「総論を述べるよりも、対立点を認識した上で具体論を論じるべきではないか」と提案しました。そのうえで「中国の安保防衛政策の透明性について、中国側の問題点は、結論や例示は示しても過程や詳細についての説明が無いことだ」とし、丁寧な説明を求めました。また、「北東アジアの問題は大きなイシューだが、日本側は一般論よりも個別的な問題についての成果を期待する」と述べ、「日本側から見れば、国連は『互恵的協力関係』のひとつの到達点である」と主張しました。
仙谷氏も「この1年間の台湾、韓国、日本の政権交代など政治的な状況変化がある中で安全保障分野において真空状態をつくらないことが大切だ」と指摘し、具体例として常設の東アジア救援部隊検討の可能性を挙げ、その活動を各国の国民に提示することで、国民レベルでのナショナリズムを押さえるひとつの手段にもなるのではないかと提案しました。
加えて山口昇氏も、「他国からの領海侵犯や核開発など日本の国民にとっては軍事的不安要素が多い。北東アジア安全保障メカニズムは魔法の杖ではなく、6者協議などの現存の仕組みを前進させることが重要ではないか」と述べました。
これらの日本側の見解に対して、中国側は防衛白書担当者同志の交流など、政治家や大臣レベルだけでなく、さまざまなレベルの交流拡大が相互信頼の醸成に役立つだろうと提案しつつ、軍事費の透明性については、指摘された事実を認め、防衛白書の内容は年々良くなっているものの国際的に期待される水準からはまだ遠いという見解も表明しました。
その他、核開発の経緯、潜水艦の領海侵犯、台湾海峡問題、アジアにおける米国のプレゼンスなどについて、双方が率直に意見を述べ合い、前半は終了しました。
ここで一度休憩を挟み、議論は相互協力をテーマとする後半部分へと移りました。
まず軍事的な協力状況について山口氏が、「自衛隊は中国・韓国や東南アジアとの交流を1990年代から手がけており、1994年に発足したアセアン・リージョナル・フォーラム(ARF)は、軍事の透明化や防衛交流の活発化を目的に掲げているが、それを踏まえて日中の防衛当局間の交流はかなり高いレベルにきている。中国のPKO重視の姿勢も交流深化の要因となっている。PKOあるいは人道支援活動という場面で、日中が協力する機会は多いのではないか。訓練などを共同してやることを検討する時期に来ているように思う。日中両国が平和と安定のために協力しているという姿をアピールできるのではないか」と提案しました。
しかし懸念材料として、中国原潜やその他船舶の領海侵犯、さらには軍事支出の増大を挙げ、隣接する大国同士がお互いに不信感を抱き続けることは決して望ましくないとしつつ、その改善を訴えました。
これを受けて司会の金氏は、四川大地震における日本の救援活動について、「中国人は非常な感動を覚えたが、その発信源はインターネットであった」とし、それまでインターネットにはさまざまな議論が溢れていたが、このときには感謝の言葉が溢れていたと紹介しました。「正しい方法で相互感情の改善を促進する事が可能ではないか」と提起しました。
また、趙氏も援助隊の活動に対して感謝を述べ、この点での日中協力が進んでいる状況を説明しました。「最近、中国は地震専門家、軍、消防隊などで構成する「国家緊急援助隊」を立ち上げたが、それにも日本からの協力を得て、防災分野で多くを学んだ」と報告しました。そして更なる協力・支援への期待を表明しました。
明石氏は、自身の経験からPKOについて「1992年から93年にかけての初めてのPKO派遣の後、日本は中国・韓国とともにPKOのための共同訓練組織を発足するべきだと要望したが実現しなかった」と紹介しました。「国際的な人材育成活動が必要だが、自衛隊はこの点でへっぴり腰である」とし、同時期に若葉マークをつけて活動を始めたのは日本、中国、ドイツの3国でしたが「日本は中国には遥かに水をあけられ、ドイツからも遅れをとった」と発言しました。
呉傑明氏は非伝統的な分野を含んだ実務協力を強く支持するとしつつ、「艦艇の相互訪問という形は中国国民の反感をやや買ってしまい、受け入れにいまひとつ時間がかかる。だが敏感ではない部分では、交流はより可能だ。軍事的ではない要素をも含む部分について、交流の機会を設けることは可能ではないか」と率直な意見を述べました。
これについて高原氏は、「人民解放軍は自衛隊との間の交流について非常に積極的であるが、その契機は1999年発行の『新安全保障観』にあり、日中で『非伝統的安全保障』が議論の対象として定着しているという印象を受けた」とし、青年海外協力隊、NPO、草の根協力など、顔の見える援助はたくさん行われているが、それをいかに国民に知らしめるのかが重要になってくるのではないかと指摘しました。さらに「伝統的脅威についても何とかしなければならない」「軍拡競争に陥らないよう、韓国や米国をふくめての定期的対話を行う必要がある」としました。
これに対しては中国側も「中日双方が伝統的分野であれ、非伝統的分野であれ、共有されるものは多くあり、まだまだ発展できる分野がたくさんある」「大事なのは共通点を見つけることだ」と応じました。
一方、劉氏は「協力という言葉が前面にでる一方、不安はなかなか捨て去れない。中国で何かが起こり、日本側が不安になると、その態度が中国側を不安にさせる。台湾環境問題などが良い例である。中国と日本の国情は違う。今回、オリンピックを行う前に、中国はウイグルやチベットでテロの襲撃を受けた。それに対して、日本は一党独裁を持ち出しネガティブな反応をする。中国にとっては国内問題なのに、日本は人権問題だという。この原因は何だろうか」と問題提起をし、「メディアに原因があるのではないか」としました。中国は改革・開放から30年を迎えますが、「ここまで武装衝突は起きていない。持続可能な発展について、大きな戦略を考える必要がある。中国の安定は日本の安定にもつながる」と主張しました。
これについては司会の若宮氏が、「日本のメディアの中にも中国を批判的に見がちな傾向はあるが、欧米メディアに比べれば遥かに穏当であり、事実を冷静に見ている。今年の対中感情の悪化はチベットではなく、明らかに餃子問題だ。状況証拠から判断して、中国側での混入を疑うことは妥当であるが、それを中国側警察がにべも無く否定してしまったため、『中国は何をやっても都合のいいことを言うんじゃないか』という不信感が広がった。それが後続の出来事に影響したと思う」と反論しました。
また、高原明生氏は、「環境に関する技術移転について、中国の先生方にお願いがある。中国の環境を保護する事は、日本にとって戦略的な利益があること。だが『互恵関係』であるために対価が必要である。また、技術移転に際し知財権の扱いはしっかりしなければならない」と要請しましたが、呉建民氏は「日本の企業が多くの資金や人材を投入している。中国側も代価を払って獲得するべきだという点に関してはなんら問題ない」と応じました。
その後、日本側から、自衛隊機の中国訪問についての疑問も提起されましたが「中国の国民感情、複雑な事情にも配慮する必要はあるが、援助についての熱意は評価する」と中国側が応える場面も見られました。
最後に司会の若宮氏、金からは、「去年に比べると、話がだいぶ進んだという感じを受けた」「今日1日の議論は、東京‐北京フォーラムの成果として歴史になった」と総括があり「来年は更に深い議論を進めて行きたい」と締めくくられました。
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