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その後行われた分科会「政治対話」後半では、パネリストと参加者間の活発な議論が行われました。
会場においてパネリストとやり取りされた議論は、下記の通り。
中国日報社記者
今回公表された第7回日中共同世論調査によると、双方の人民の好感度が下がっていると指摘されている。日本人の中国に対する印象が悪化したということは、日本が中国を知るほど好感度が下がるという見方があるが、加藤先生もそのように考えるか。
加藤紘一氏(日中友好協会会長 自由民主党衆議院議員)
日本人の対中好感度が下がった理由は、明確に尖閣列島問題の処理にある。日本人は、中国人は話が分からない人たちだと。いざとなると、軍事力をかざし、さらに人質を取って脅したとの報道を日本でされ、それが影響していると思う。
記者
日本経済の発展の記録をしているが、日本の中国への感情をどのようにとればいいのか
趙啓正氏(全国政治協商会議外事委員会主任)
重要なテーマだ。鄧小平氏が日本に行った際、新幹線を見て自動車を見て、近代化が重要で、勉強しなくてはならないと述べている。日本の戦後の重点は日本人の顧問の先生にうかがいましょう。対日貿易の方、商務部、部長の先生に伺った方がいいと思う。
日本工業の強みは商業化のために製品を普及するというイノベーションにある。
呉建民氏(上海国際問題研究センター主席、国際展覧局名誉主席)
日本は社会が安定している。大震災が起こっても、日本人は淡々と対応する。その点に頭が下がる思いだ。これは我々が見習うべきところだ。また、日本は研究の上に研究を重ねているが、中国は浮わついている。功を焦っている。日本では数だけではダメだということが認識された。中国人の感情をどう扱ったらいいのか、外交分野の先輩として伺いたい。中国人はよく言う。「我々中国人の感情を傷つけた」と。どういうことで我々はすぐに傷つくのでしょうか。中国人の悲惨な記憶だった。そういったことはもちろん良くない。趙啓正先生の言ったことが良かった。真実の物語であれば心を打たれるものになるだろう。
趙啓正氏
実際、外交部の表現は婉曲的だ。嫌だと、嬉しくないという表現です。
松本健一氏(内閣官房参与、麗澤大学経済学部教授)
鄧小平は中国の近代化を述べるが、私は実際オリンピックによって日本の社会は大きく変わったという1964年転換説を唱えている。農業から工業へ、農村から都市へ変化し、努力から余裕を持って楽しもうという精神形態に変わっていった。安いものの大量生産から、良いもので安全なものをつくろうと、みんなで努力し続けることで、社会転換した。目の前で社会が変わっていくのを私は見てきた。
日本で経験したことが、中国が変わっていく局面にも見受けられる。もちろん、例えば中国のほうが携帯などは日本より普及していると聞いているので、全て日本と同じとは限らないが、中国でも農業から工業へと変わる局面が出てくるだろう。社会の転換を考える1つのメルクマールが、オリンピックであるということを考えてみると、日本がその後どのような変わり方をしたのかということは、中国にとっても役に立つと思っている。
加藤紘一氏
日本で食料・農村・農業問題を専門にしている代議士として発言する。今、松本先生がオリンピックを契機にと言ったが、やはり日本も食品の安全に到るまで、悲しい経験が多かった。一番大きかったのは「森永ヒ素ミルク事件」。工場でミスがあって赤ちゃん用の粉ミルクにヒ素が入って成長に問題があったりした。あの事件以来、大手企業は徹底して食品安全を追求するようになったが、おそらくその教訓を中国の大手企業も必死になって学んでいるのではないかと思う。
藤井裕久氏(内閣総理大臣補佐官 民主党衆議院議員)
日本は1964年にオリンピックで、その後70年に万博。ちょうど同じ道を歩んでいると思う。GDPの話があったが、池田内閣の64年までは、ただひたすらに高度成長を望んだ。その後、65年以降、こんなことで社会がいいのかということが始まっている。つまり、つま先立ちの経済ではなくて、腰を落ち着ける経済、成熟経済でなければならないのではないかと。私は、日本は60年代に成熟社会に入ったと思う。オリンピックと万博が日本にとっては転機となったということだ。
◆会場から
日本の若者は中国に負けたと思っていないというが、これは武士道精神に通じるものなのか。つまり、負けたときには負けたと言う。負けていないときには絶対に認めない。誰に負けたのかはあまり大事ではない。しかし、戦争の性格と意義、そしてその悲惨さからすれば、誰に負けたかなど問題にならないはずだが、なぜ日本人は中国には負けていないと強調するのか。
蓮舫氏(内閣総理大臣補佐官 民主党参議院議員)
武士道とは全く関係ない。逆に言えば、武士道とは、正しいものは正しい、間違っているものは間違っているとしっかりと見極めること。その意味で、一部の日本人が「中国に負けたのではない」というのは、これは本当に少数の、偏狭ナショナリズムを持った方の発言で、残念ながらこうした一部の突出した意見は大きく報道され、それがすべて日本人の意見という印象をもたらしてしまう。ここをぜひ慎重に見極めてほしい。我々は、教育において近現代史はきっちり教えるべきだと思う。全体的にはまだ改善されてはいないが。しかし、良識ある若い世代は、中国と戦争をし、侵略をしたという認識を持ち、間違ったところは反省し、謝るということをしっかり知っていると思っている。ただ、いい話は視聴率や購買率の伸びにならないため、メディアに取り上げられない。表にあるのはほんの一部であることを理解してほしい。
◆会場から
中日の政治的相互信頼とアジアの未来ということだが、中日関係にとって避けられない問題としての米国との関係をどう考えるのか。
松本健一氏
この質問と合わせて補足。アジア共同体を作るとするならば、日中共同で進めるプロジェクトをやることから始めたらいいのではないかというポイントを挙げてもらった。
加藤 紘一氏
20年ほど前、マレーシアのマハティール氏がEAEC構想を立ち上げたが、米国が強烈に反対してぶち壊した。日本も「仕方ないな」と思った。なぜなら、米国はいろいろと無理難題を言ってくるが、最終的には、この世界の秩序づくりの責任者であろうとする意識が米国にみえたからだ、と当時の内閣総理大臣で私のメンターでもある大平正芳は述べている。その国に対して、アジアの軍事的な安定には寄与しなさい、しかし、経済発展には仲間に入れないよといったら、米国も怒るだろう。比較的サブスタンシャルな、大きなことについては、米国は逐一発言してくるだろう。私は、中国も最終的にはこれを認めているように思えてならない。
ただ、今回のドルの強烈な落下、ドル安、米経済の基軸通貨の信用がそこまで落ちると、アナーキーな世界に入ってしまいかねないと思う。その時中国が最後の秩序を考える国として立ち上がるのかどうか。私は立ち上がらないと思う。そう簡単なことではない。そうなったときに、またゆっくり話しましょう。
藤井裕久氏
ドルの落下は今始まったことでない。この60年間ドルは続落の歴史だった。22年間1ドル360円を守ったのは、ソ連に対して日本を先兵に仕立て上げるためのことであって、22年間、ドルは守り切れない時代がずいぶんあった。ケネディはドル防衛を行ったが、守りきれていない。1971年以降は続落。なぜか。言い難いが、1つは「メタボ経済」であること。日本もそうだが、実力以上の消費をしている。もう1つは、世界の軍事の警察的役割を果たすには無理がある。例えばイラク戦争。ここにおいて米の態度は変わらざるをえず、世界の警察官であり続けるのは難しい。
呉建民氏
米国の問題は避けて通れない。中米関係が良くなれば、日本はあせるが、中国は日米関係が良くなることを恐れてはいけない。温家宝は、実際、中米関係を大事にしている。これは世界安定のニーズにも答えていると思うし、中日関係も良く発展させるべきである。日本は米国人が中米関係を強調する際、日本側は複雑になってしまう傾向がある、実際には中日両方の関係を維持したいと考えている。
次に、アジアの発展は全てを米国頼みにしてはいけない。松本先生からも3回目の開国の話があったが、米国はこれを歓迎しないだろう。中国と協力してどうするのかという問題になる。しかし我々は日本と協力して、米国と話しておくべきだと思っている。中日の発展は米国にとっても利益があると説明すべきである。世界にも両国協力の利点を理解してもらいたい。
我々一国で何かやろうとすると米国は嫌がるだろうが、中日双方がそのメリットを説明する必要がある。そして、米国は世界の警察という役割だが、日米同盟もある。中国人から見ると、日米同盟はもう時代遅れだ。今の若者は、同盟関係は正しいものではないと思われるかもしれない。
趙啓正氏
日本は米国を重視し、中国もそうだ。双方がうまく対処しようとしている。じゃ、なぜ我々の間で対処しようとしないのかと思う。
また、50年後、ヨーロッパは統合するだろうが、アジアは金融協力すれば強くなるはず。
松本健一氏
これまで7回フォーラムを継続してきたが、米国問題を扱おうとしたのは今回初めて。
鳩山前首相が、普天間基地について、“できたら国外、最低でも県外”、と唱えたが、これは理想論である。鳩山前首相は理想実現の方法を持っておらず、結果、米国から言われて迷走していると言われてしまった。実は、鳩山さんはアジアを重視して未来を考えた結果、普天間問題がこじれ、日米同盟に戻ってしまったのである。
ここにおいて、アジア問題を考える際はアメリカ問題を欠かせない、というのは共通の認識として出てきていると思う。この点をどのように考えるか。
蓮舫氏
アジアをとるか日米同盟か、二者択一の狭い話ではない。それは、日本ができること、中国ができること、米国ができること、それぞれ役割が異なるのだ。それらをどうやって活用していくのか。リスクをどのように軽減するかが最重要課題であり、3カ国で不信を抱かないよう、オープンな対話の下、議論する必要がある。
趙啓正氏
日本の歴代首相の多くは、冷戦を除き、日米関係を強化してきた。中日間においても経済、政治において信頼が深まれば距離はなくなるだろう。
◆会場から
田中角栄のときは政治レベルだが、その後、中国は豊かになり、民間交流を始めたが、感情要素が入っており、官僚レベルとメディアの中日交流が実現していないと思う。閣僚レベルでの交流がないと、政策面で悪影響があるのではないか。メディアについては、まだはるかに遅れていると思う。官僚レベルでの交流はないのか。
蓮舫氏
メディア間の交流については、メディア自身で民間として判断してもらう。交流を続け、お互い何を報道すれば国益に繋がるか、ぜひ判断してもらいたい。かつて交流についてプロジェクトはあったが、事業仕分けを通じて、今は再度、見なおしているところだ。メディア交流については支援したいと考えている。
官僚間については、野党時代、国会を最優先にしてきたため、外務大臣、副大臣、政務官らが国会中に海外に行くことを許可していなかった。つまり、10ヶ月近くも外務大臣を海外に出さなかったのであるが、与党になった今は、国家にとって大きな損失だということが分かり、現在はこの点を非常に反省している。
日本政府が中国へのODAを7.6%減少した。日本国民はもう中国へのODAは必要ないとしているが、中国はどのように日本の民意をみればいいか。
藤井裕久氏
日本のODAは基本的には、発展途上国に対する援助である。現在、日本より経済成長率が高い豊かになりつつある中国に対し、日本からのODAは本当に必要か、一度冷静に考える必要があるというのが我々の考え方。これは中国に対して感情的になってODAを減らしたのではない。一人前の国家になったという認識をもって、では、より現実的に、まだ国内の格差の問題があり、内陸部の豊かでない地域に技術供与できないか、ODAをもっと現実的に、中国が望む形で何か提供できないかを考えている。中身のある、双方が望むものを提供してお互いが豊かになればいいと思っている。
◆会場から
国際関係の重要な問題は、双方が妥協する結果であった。中日には政治的相互信頼がないのは、妥協できない、お互いに反省できないためにそうなっている。日本はどういう問題で妥協し、中日間の相違を解決していくべきなのか。解決する時期に来ているのではないか。
藤井裕久氏
鄧小平、周恩来が述べているように、次の世代の方が利口であるから彼らに任せるべき、という意見に賛成である。もっと現実的な交流はたくさんある。領土問題を取り上げると、問題の本質を越えてしまい、偏狂なナショナリズムが出てきてしまうことがある。これでは実りはなくなってしまう。偏狂なナショナリズムとはその国自身が一番偉いと思うこと。良い点と悪い点が自国にあり、そして他国にもあることを理解したとき、平和を実現できる。
カテゴリ: 政治対話
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