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~質、規模共に最大のフォーラム
今回のフォーラムは10回大会の折り返し地点であり、第2ステージのスタートだった。
まず、①パネラー同士のやり取りではなく、会場を巻き込んだ形での参加型の議論を行い、その議論を広く日中両国民に公開すること。②民間の議論の舞台であるこのフォーラムを、日中両国が直面する課題について具体的な議論を行い、解決方法を提示していくような、そのような舞台にするために本フォーラムに臨んだ。
①について、「政治対話」では、日中両国の政治家同士で議論すると共に、聴衆として大学生154人を含む187人が参加し、会場から質問をとるなど会場参加型の議論を両国の政治家と大学生の間で行った。「メディア対話」においては、会場の聴衆として中国から約35人の若手記者が参加し、日本側からも多数の記者が参加して、会場から活発に発言がなされるなど、会場を巻き込んだ形での議論が行われた。その他の対話においても、会場から発言を求めるなど、会場参加型の議論を行った。また、政治対話、メディア対話においては、初めての試みとして、インターネットで生中継を行い、政治対話1,688人、メディア対話7,694人の閲覧があった。また、その他の分科会についは録画中継を行い、2日間の全体会議、分科会で延べ29,077人がインターネット放送を閲覧した。以上を踏まえると、これまでのフォーラムに比べて、質的にも量的もかなり発展したと考える。
次に、②について、これまでの「安全保障対話」に「外交」を加えて「外交・安全保障対話」とし、北朝鮮問題を始めとする日中両国が直面する具体的な課題について議論を行い、その結果一致点があれば、解決方法を提示しようと試みた。そこで、前後半を通じてパネリストが一同に参加できるように、円卓会議方式を初めて採用し、かなり踏み込んだ議論を行った。パネリスト、聴衆からも好評を得た。また、今年で3回目を迎える「地方対話」についても、日中両国の首長が参加し、都市の成長と管理や防災と高齢化、さらには地方同士で、観光や投資、経済面でどのように連携していくかなど、具体的なテーマについて本格的な議論が始まった。その結果、中小企業の協力委員会や、マッチング組織をつくってはどうか、という提案がなされるなど、具体的な解決策が合意されたことは、非常に大きな成果であった。
過去の成果
第5回 北京-東京フォーラムの成果
■第5回 北京-東京フォーラム ~アジアの未来に向けた議論の礎を築いた。
今回のフォーラムは、第4回大会に参加した大連市の夏市長(当時)からの強い誘致の要望により、中国大連市で開催された。米国発の金融危機によって世界経済が混乱する中で、建国60年を迎え経済的な影響力を急激に高めている中国と日本がいかに協力関係を築いていくべきかを問うべく、「世界経済危機下での日中協力」をメインテーマとした。分科会は「政治対話」、「メディア対話」、「経済対話」、「安全保障対話」そして「地方対話」の五つのテーマについてすべて公開で行い、「政治対話」は大連理工大学で開催し、両国の政治家と300名を超す中国の大学生との間で対話を行った。
今回の第5回フォーラムが目指したのは、第一に両国民間の相互理解を深めるためより公開型で参加型のフォーラムへの取り組みであり、第二に政治と経済協力と交流のテーマを軸に日中対話を構成し、政治家と若者との対話、地方対話を常設化することであった。前者については、中国側が経済対話を中継し、その他の対話についても中国日報社のWebページで公開している。日本側もtwitterやチャットなど新たな手法を活用し、議論の速報性を上げて公開するなど、インターネットを通じて公開型の議論を充実させた。後者については、今回のフォーラムの大連誘致や日本側からの多くの自治体関係者の参加に見られるように、中国の地方政府や日本の自治体から非常に高い関心を持たれており、今後も多くの地方自治体が参加できるような仕組みをさらに発展させていく。
また、今回は8月に行われた衆議院選挙で戦後初の本格的な政権交代が行われたが、鳩山首相からは、本フォーラムが日中の「戦略的互恵関係」の内容をより充実させると同時に、世界経済や国際金融などの問題について日中が協力を深めていくための議論の場としての期待を表すメッセージがあり、日中間そしてアジアにとっての本フォーラムの重要性が改めて指摘された。民主党からも3名の政治家が参加し、アジア外交に対する党としての意見が発信されたことは非常に大きな意義があったと考える。
「大連宣言」では、今回の金融危機に対して日中両国が互いに連携しながら立ち向かい、このフォーラムを抽象的な議論を越えて、よりレベルの高い具体的な課題解決の場へと進化させることが謳われた。さらに、鳩山政権が提唱する「東アジア共同体」については参加者の関心も非常に高いものであったが、アジアの未来のために、次回以降の議論で深く取り上げることが同意された。
過去の成果
第4回 東京-北京フォーラムの成果
■第4回 東京-北京フォーラム ~両国の課題解決に真っ向から向かい合う。
第4回は北京オリンピック直後で中国経済の今後の世界の注目が集まり、日本では自民党総裁選、アメリカの金融危機が表面化する中での対話となった。前回から今回のフォーラムの間に、日中間でも食品の安全性の問題をはじめとして、様々な問題が発生し課題が山積みとなった。私たちは、この課題に正面から向き合うため、日中間の対話では初めてとなる「食料対話」を実現し、中国の政府担当者も参加した。また、この1年間に新たに浮かび上がった対中イメージの悪化など、両国のメディア関係者が向かい合う「メディア対話」を充実させた。「メディア」対話はNHKが特別番組を制作した。さらに、今後の日中の経済交流を地域レベルでも進めるために「地方対話」を企画するなど7つの分野の対話が実現し、フォーラムは両国間の課題解決のテーマに応じてハイレベルの議論を行う形に発展した。
これらの議論には日本から現職大臣の5人(高村正彦前外務大臣、増田寛也前総務大臣、谷垣禎一前国土交通大臣、斉藤鉄夫環境大臣、林芳正前防衛大臣)を含む各界の有識者約60人が参加し、歓迎レセプションでは福田康夫前総理大臣のあいさつも代読された。また、中国側から現役閣僚や、新華社、人民日報など主要メディアの編集首脳など約50人の大訪日団が来日し、規模、内容ともこれまでを上回った。各分野の第一人者が議論に参加し、中国メディアが特別対応をするほか、日本側でもこの民間対話をメディアが特別紙面や特別番組を作成して紹介するなど、議論が大きく報道された。また年に一度の議論で終わらせるのではなく、両国の課題解決やアジアの未来に向けた意味ある議論とし、議論を具体的な提案や成果に結び付けるために継続的に議論作りを準備すること、さらに、アジアの課題解決に議論を広げて行くことなどを合意した。
過去の成果
第3回 北京-東京フォーラムの成果
■第3回 北京‐東京フォーラム ~「公共外交」の舞台として基盤を確立した。
第3回フォーラムは、2007年8月28日から2日間の日程で、北京で行われた。前回の東京大会での成果を踏まえて、「公共外交」としての基盤の定着、中国の大学生の対話を柱にフォーラムが形成された。公共外交の定着では、日中双方ともに政府の政策決定者やその経験者、政党の幹部が各部門でパネラーとして議論に参加し、また安倍首相からのメッセージに中国外交の実質的なトップで、当時の外交部副部長の戴 秉国氏が返礼するなど、この民間対話の舞台で共通の課題を話し合う基盤がつくられた。
大学生との参加型の対話としては、北京大学で「アジアの未来」をテーマに300人の中国側の大学生・大院生を招待し、日中の政治家との対話が行われ、その内容はインターネットの中継やTV報道で中国内外だけではなく世界に発信された。フォーラムの規模も拡大し、パネリストは全体会議や金融、環境、安全保障、経済交流、メディア対話、アジアの未来の6つの分科会に日本側から36人、中国側から43人が参加した。これは2年前北京で行われた第一回が、日本側からの出席者がパネラーのみの27人だったことを考えると飛躍的な規模の拡大となっている。北京開催にも関わらず、日本側からの傍聴者は有識者を中心に200人程度にもなり、フォーラム全体の傍聴者も延べで1,000人を越えた。
過去の成果
第2回 北京-東京フォーラムの成果
■第2回 東京-北京フォーラム ~日中首脳会談実現に向け歴史的な役割を果たした。
第2回フォーラムは、2006年8月3日から舞台を東京に移して行われた。議論は歴史問題、経済交流、資源・エネルギーなど5つのテーマで行われ、中国側からは閣僚級の6人の要人を含む35人の有識者が来日、日本側も安倍内閣官房長官や中川秀直自民党幹事長など現職の閣僚や自民党の有力者をはじめ、企業経営者、メディアなどの有識者50人が議論に参加、2日間の傍聴者は延べ1,000人を超えた。
第2回フォーラムは日中関係の改善に歴史的な役割を果たした。次期首相が確実となっていた安倍内閣官房長官のメッセージを契機に、これまで機能停止に陥っていた日中の政府外交が改善に向けて動き出し、その2ヶ月後に政権発足直後の安倍首相の電撃的な訪中と首脳会談(2006年10月8日)再開に道を開いた。中国側ではこれを契機にフォーラム自体を「公共外交」(トラック1.5)と位置付け、両国の知的な民間対話の舞台として大きく発展した。こうした議論を継続的に行う舞台として言論NPOとチャイナデイリーは共通のウェブサイトを立ち上げることも合意した。
過去の成果
第1回 北京-東京フォーラムの成果
■第1回 北京-東京フォーラム ~日中関係の最悪な年に日中対話の新しいチャネルが生まれた。
第1回フォーラムは、反日デモが中国の主要都市に広がった2005年の8月23日から2日間の日程で北京市内において開催された。両国を代表する有識者、メディア関係者など約200人が参加し、その中から70人が政治、経済、メディアの3つの分科会に分かれ議論を行った。議論の内容は、インターネットなどで中国だけでなく全世界に同時中継され、CNNやBBCなど世界の主要メディアや中国の80を越すメディアが報じた。日中が直面する課題に関する議論を幅広く公開するという目的は実現できたが、最大の成果は、議論に参加した両国の有識者が日中関係悪化の原因として、双方に対するあまりに初歩的な基本認識の欠如があり、それがかなり深刻な状況であることを共通認識としたことで、参加者間の議論が噛み合ったことだ。それまでなかなか両国で実現ができなった共同世論調査の結果がそれを明らかにした。この結果、両国間の問題を解決するための継続的な議論を行うための土俵が築かれた。
過去の成果
過去の成果
日中両国関係は、小泉政権以来途絶えていた首脳会談が2006年10月8日の安倍総理訪中をきっかけに再開し、福田政権以降は両国首脳による相互訪問が頻繁に行われるようになりました。
こうしたアジア外交面での急展開の背景には、2006年8月に東京で開催された「第2回 東京‐北京フォーラム」の舞台での対話がありました。その1ヶ月後の自民党総裁選挙で首相就任が確実視されていた当時の安倍内閣官房長官が、両国関係の改善を中国要人の前で直接呼びかけたことで、日中関係は首脳会談再開に向けて動き出したのです。民間の議論の舞台で外交が動く、それは、私たちが2005年に北京で立ち上げた「第1回 北京‐東京フォーラム」で掲げたミッションそのものでした。
このフォーラムは過去5回にわたって開催されており、他にもさまざまな実績や成果をあげています。
過去の成果
言論NPOは2001年に設立、2005年6月1日から34番目の認定NPO法人として認定を受けています。(継続中) また言論NPOの活動が「非政治性・非宗教性」を満たすものであることを示すため、米国IRS(内国歳入庁)作成のガイドラインに基づいて作成した「ネガティブチェックリスト」による客観的評価を行なっています。評価結果の詳細はこちらから。