. 言論NPO主催「東京-北京フォーラム」公式サイト - 第5回 北京-東京フォーラム 分科会 政治対話11月2日速報記事(後半)

政治対話 速報記事(後半)①

渡部恒三氏:

 私は早稲田大学を出ましたが、会社の就職試験には合格できないが、投票してもらえればいいということで、26歳で国会議員に初当選しました。当時の日本の政治は、佐藤栄作が総理大臣、福田赳夫が外務大臣でした。佐藤の後は福田か田中か、ということでした。そして、日本にとってもっとも重要な外交課題は中国でした。当時、日中の間に正常な国交関係はありませんでした。貿易もできないのです。中国と日本が正常な国交を持つことが、日本はもちろん、中国のためにも、世界のためにも大事だと国会で訴えてきました。当時の通産大臣の田中さんが私をかわいがってくれて、彼の命令で私は1972年に北京に参りました。当時は香港にまずは止まり、重い荷物を持って橋を渡るという大変な旅でした。そして北京に参りまして、周恩来首相にお目にかかりました。  当時の日本は中華民国と正式の国交をもっていました。今から考えると夢のようですが、日本の役人は4人、それだけが日中のパイプだったのです。北京の街も自転車だけで、私が車に乗って行くと、中国人がみんな集まってきて、私じゃなくて車をみているような、そんな時代でした。

 わたしは、やはり中国の皆さんとともに世界を進めなければいけないと思って周恩来首相にお会いしました。そこで、「中国を代表するのは中華人民共和国である」と申し上げました。次の総理大臣となる田中がそれを認め、しっかりと手を握りましょうと申し上げました。これが私の政治生活の中で、一番自慢できる、感激する時間でありました。その後は皆さんご存じのように、周恩来と田中角栄はがっちりと手を結びまして、今日の日本になりました。
 いろいろなことがありましたが、餃子の問題でお互いにけしからんと議論をしても、結局は、日本のため、中国のため、世界のために、やはり中国と日本はしっかりと手を携えていかねばならないと確信しています。
 もうひとつ、中曽根政権の厚生大臣のときに中国に来ました。あの思い出したくもない戦争のとき、東北地方にソ連が攻めてきて、かわいい子供たちを残したまま日本人が帰るという非常に悲しいことがありました。
 しかし、ここから、日本人が忘れてはならないのは、その日本人が残した子供たちを、中国の、みなさまの祖父母の皆さんが、温かく育ててくれたことです。世界の歴史でこんなことはありません。私はあのときハルビンに行って、厚生大臣として、日本人の子供たちを育ててくれてありがとうという感謝の会を開かせていただきました。
これから経済問題、安全保障問題でぎくしゃくすることはあるでしょう。しかし、必ず最後には日中の国民の心は一つになる。そのとき、東アジアが結束して、日本と中国が結束して世界のために頑張るということをお話しして、私の話とさせていただきます。ありがとうございました。

呉建民氏:

 渡部先生の話は非常に示唆に富んでいます。田中総理がなくなった今、正常化の場に立ち会った人は非常に少ない。そこには、世界のトレンドを見る人、歴史の先頭を走る人がいました。1972年に中日は国交正常化しましたが、これはもっとも楽観的な人でもこのような中日関係の発展は予想していませんでした。中日の貿易は2000億ドルを超えています。
今日の2つのテーマは、世界の判断から切り離せないものです。今日の日中関係は世界の中において考えるべきであります。私は半世紀近く、国際社会を観察してきました。今日の変化はかつてないものです。昨今の世界の大局は2点です。
 ひとつは、時代の変化。戦争、革命から、開発と発展というものになりました。これは非常に大きな変化です。なぜなら、戦争と革命の時代には、変えられないものが多かった。中国は努力したが、西側に学ぼうとしたら裏切られてしまった。戦争と革命から開発と発展へは、非常に大きな変化です。21世紀は、戦争では解決できません。イラク戦争は何も解決できませんでした。
もう一つの変化は、国際関係の重心が西洋から太平洋に移っている。これは400年来の変化です。西洋は世界の先頭を走ってきましたが、この状況はいまや変化し、太平洋に重心が映っています。
 アジアの台頭は日本から始まりました。日本は輸出志向型というモデルを開発しました。これはアジアに合致するもので、次に東南アジアと中国が立ち上がりました。日本が先頭を走り、ドラゴンが追い、東南アジアが追い、中国は1970年代に仲間入りしました。そして21世紀の様相を一変させるでしょう。ですから、今日の日中関係は単なる二国間関係ではありえません。
相互依存にあり、アジアが世界平和に向かうために、世界の面目を一変させるためには日中の協力が必要です。しかし中国の世紀には賛成できない。松本先生のアジアの世紀にも賛成できない。欧州の19世紀は多くの人を傷つけ、アメリカの世紀もそうでした。アジアは立ち上がっていますが、平和発展を目指しています。21世紀は平和発展全人類の世紀でなければいけません。アジアの世紀ではあらぬ疑いを受けます。ナショナリズムと人類への思いを皆さんには持ってほしいです。

松本健一氏:

 先ほどの話で文明が西から東に移ってきているといわれています。日本は1964年の東京オリンピックをきっかけに経済成長の時代を迎え、昨年は中国がオリンピックを迎え、日本の経済発展をモデルにアジアの4龍といわれる、韓国、香港、などが発展してきています。
 1980年にはアジアの4龍が発展しました。鳩山首相が言われたことは、昨年のフォーラムで言っていたことと同じで、学生から多くの反響を受けました。それでは、続いて中谷先生からお願いします。

中谷元氏:

 アジアの国々の連携が完成すれば、世界で最も安定した地域になると思います。日本と中国はもっと足並みをそろえて仲良くなってほしいと、東南アジアの各首相から言われたことがあります。
 私はこのことから、日中の関係は東アジア全体、世界全体の発展につながると痛切に感じております。今後は共同体といわれるように、ヨーロッパ共同体のような素晴らしいアイデアを制度としてつくっていきたいと思っております。
アジアには独特の文化があります。漢字、仏教、儒教、礼儀作法、など世界の中でもすぐれた文化があるので、それぞれで発展してもいいといわれますが、経済の発展の中ではそうはいえません。アジア共同体のために、北朝鮮に対して、日本からも、中国、特に東北地区である大連からもアジアの平和共存のために努力していきたいと考えております。

松本氏:

 アジア共同体は夢のような話ですが、一つ一つ話を進めながら、将来的にはその理念を共有できるようにしたい。1820年は日中の平和時代で、二国で世界の40%のGDPを占めていた。そういう点から、現実的に一歩一歩アジア共同体を完成していきたいと、中谷先生の話から思いました。

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