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三寒四温、三度目の正直、三人寄れば文殊の知恵。私たちの身の回りには3のつく言葉がけっこうある。ほら、物事だって、1、2、の、3で始めるでしょ。どうやら3という数字は何か私たちにとって大きな意味を持つものなのかもしれない。
結局、何が言いたいのかというと、今回晴れて北京で行われた、第3回 北京-東京フォーラムの重要性である。
一回目は開催したことに意義がある。そして、それだけである程度の評価を得られる。
二回目は成果を求められる。そして、安倍現総理大臣を迎え、日中関係の重要性が述べられたことで、この目標は達成されたと言える。三回目は未来への展望が求められる。
二回目までの成果を踏まえ、今後それらを持続的に継続、発展させていけるだけの明確な目標、そして断固たる決意が要求されるのである。
その観点から見て、今回のフォーラムは成功したのか。今日一日を振り返り、考えてみたいと思う。
北京の五つ星ホテル、クンルンホテル、その二階、クンルンホールでフォーラムは行われる。華やかなシャンデリアの下、続々と各界で名の知れた著名人が集まり、何やらひそひそ話。もう戦いは始まっているのかもしれない。
チャイナデイリー総編集長、朱霊氏の挨拶でフォーラムは幕を開ける。盛大な拍手、瞬くフラッシュ。そのどれもが新鮮で驚きだった。その後はコーヒーブレークまで日中合わせて八人の怒濤の連続講演、その中には主催者の一つ言論NPO代表工藤泰志氏の講演も含まれる。そこで氏からこのフォーラムの展望が語られた。このフォーラムをアジアの問題全てに対する情報の発信源に、という氏の発言には確かな意思と強固な決意を感じ、私の心は期待に胸躍った。
しかし、それもつかの間、全体会議が進むにつれ、私の心はだんだんと沈んでいった。
講演者は相も変わらず、原稿を読み、全員がひたすら同じことを繰り返しいうのである。これでは普段の無味乾燥な政治と変わらないではないか。退屈を通り過ぎ、憤りすら感じる。民間でやる意味は何なのかと。もちろん講演者一人一人、きらりと光る言葉をそれぞれ持ってはいたのだが、それさえも私の心を打つには至らなかった。
私は憂鬱な気持ちで昼食を食べた昼食後は各分科会に別れての討論である。私は安全保障に関する分科会に参加した。
私の気持ちは沈んだままである。比較的狭い部屋に多くの人が押しかけ、人の熱気が溢れる中分科会はスタート。司会の朝日新聞論説主幹、若宮啓文氏のもと日中三人ずつのプレゼンが行われる。昼食でお腹いっぱいになり、眠い目をこすりながら、プレゼンを聞く。初めはまた当たり障りのないやりとり、を予想していた。眠かったし、早く終わって欲しかった。
しかし、プレゼンを行った話者は私の予想を裏切り、今まで公の政治の場では語られなかったような率直な意見が述べられた。私は眠気を忘れ、話に聞き入った。
しかし、また私の中で、もう一人の自分が叫ぶ。結局またみんな同じこと言ってるよ。
そう思うと私の心は満たされぬままだった。そして前半が終わり、コーヒーブレーク。
後半が始まる。前半の議論を踏まえ、さらに日中三人ずつプレゼンが行われる。そこ
で私は耳を疑った。多くの話者からかつて聞いたことのない発言を聞いたからである。
もちろんそれは皆が当然思っていることでもある。しかし、このように聴衆、メディアの目にさらされた中でする発言とは思えないものも含まれていたのである。発言には責任が伴う、それが政治である。それでも多くの話者が忌憚なく多いに語る。それに私の心は再び興奮を取り戻し、プレゼンに引き込まれた。
続いて行われた、議論形式の対話ではさらにその傾向が顕著であった。率直な発言はしばしば相手の感情に訴える。そこから生まれるのは悲しみであったり、喜びであることもある。しかし多くの場合は怒りである。それが日中の安全保障というデリケートな問題であれば、なおさらであろう。日本側の意見を受けて、中国側が眉をひそめる。中国側の意見を受けて日本側が目を見開く。
有識者と呼ばれ、普段は感情を出すことを極力抑えているはずのパネリストたちが、相手の発言に反応し、冷静と情熱の間で揺れ動き、普段は言えない本音を話しだす。まさに今ここで政治が動いているのだ。
その実感は徐々に強くなっていき、私を呑み込んでいく。その波に溺れそうな中で、ふと私は思った。なんだ、このためだったのかと。お互いに議論を進めようとしても、互いの根本的な前提が分かっていなければ、議論を平行線のまま、無意味に終わる。それを防ぐためにも、初めにお互いの前提を確認し合う必要があるのではないだろうかと。
そう思うと、私の中で色あせていた全体会議、分科会後半の記憶が一気に色を取り戻し、躍動し始めたのである。
あれは幻だったのか。時間の制限により、分科会が終わっても、私は醒めきらぬ興奮のなか、放心状態だった。その前を一人の政治家が横切った。衆議院議員、元防衛庁長官、中谷元氏その人である。私は思わず駆け出し、震える足を懸命にこらえ、氏に疑問をぶつけた。
氏は単なる学生ボランティアである私に名刺を差し出し、私のぶしつけな質問にも丁寧に答えてくれ、写真も一緒にとってくれた。ここで私はまた政治の息吹を感じたのである。中谷氏以外のパネリスト、そして参加者のほとんどが終了後もホールで政治談義に花を咲かせている。このフォーラムの意義はここにあるのではないか。オープンな形での多くの人による政治参加。フォーラムの存続は運営側だけでなく、参加者の意識にもかかっているのだと。
私は満たされた気持ちで、片付けのため、名残惜しくも会場を後にした。
果たしてこのフォーラムは成功であるのか。まだ二日目があるじゃないか。今言うのは野暮ってもんでしょう。
文責:林
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