. 言論NPO主催「東京-北京フォーラム」公式サイト - 学生さんの声 1 / フォーラムを終えて

 今は2007年8月28日18時半、第3回 北京-東京フォーラムの一日目が終了しました。

  私がこのフォーラムの存在を始めて知ったのは先週です。

 いとこに日中討論のイベントのボランティアスタッフをやらないかと誘われて、興味本位で参加しました。打ち合わせに来てみたらびっくり!こんなにシビアなものだったとは...といった感じです。前日は緊張でなかなか寝付けませんでした。           

 まず今日の午前中は全体会があり、来賓の方々の挨拶や基調講演が行われました。来賓にはさまざまな分野で活躍なさってる著名人がいらっしゃいましたが、私たち学生スタッフに一番人気だったのは民主党副代表の岡田克也氏でした。岡田氏の発言が始まるとみんなカメラを取り出しました。

 私たちの役割は来賓の方の発言内容を速記することです。中国側の発言は同時通訳機から流れてくる日本語を聞いてやります。全体会は中国側と日本側によって交互に行われたのですが、途中で発言者の順番が入れ替わったりして一時混乱に陥りました。

 それに正直自分の指がほとんどついていけない状態で、来賓の発言内容をたびたび聞き逃してしまうことありました。そんな中、いくどもASEANとかインドなどのことばが耳に飛び込んできます。中国外交学院院長の呉建民氏の発言の中で特に述べられてました。私はいままで中日関係にばかり注目してたところがありましたが、改めてこれからは今回のこのフォーラムのサブタイトルにもあるアジア全体の未来について考えたり、他のアジアの国々に注目する必要があると感じました。

 午後は分科会が行われました。分科会は6つに分かれていて、略しますと、メディア、安保、金融、経済、環境、アジアの未来です。アジアの未来は特設会場の北京大学で、それ以外はメイン会場のクンルンホテルで行われました。

 私が参加したのはアジアの未来です。その理由はなんとなくだったのですが、後からいい選択をしたなと思いました。とてもいい話が聞けたし、なんと言っても他の分科会に はない一般学生と来賓との絡み合いが見られたからです。

 この分科会は中国側は周牧之氏、日本側は国分良成氏で始まりました。国分氏は挨拶をいきなり中国語で始め、中国語の腕前を見せつけました。しかもバイリンガルの私が聞いても外国人には聞こえないほど上手でした!その後はちゃんと日本語の挨拶もつけてくれました。続いてパネリストの紹介と発言が行われました。

 中国側パネリストは午前の全体会でも発言なさっていた趙啓正氏をはじめ、王英凡氏、呉建民氏、カ慶国氏、白岩松氏で、日本側パネリストは大人気の岡田克也氏、宮本雄二氏、竹下亘氏、上田勇氏、松本健一氏でした。しかし、中国側の一番人気の白氏は交通機関の遅れのためかなり遅刻して来られました。

 私はこの分科会では主に写真や動画の撮影を担当したのですが、同時通訳機をつけてると動きにくいので外してました。だから今は、中国側の発言がどのように訳されたのか気になります。後から他の方に聞くと、どうやら訳された日本語より実際の中国語の方が過激に聞こえたそうです。前半パネリスト方の発言はよくテレビで聞いたり、午前中の全体会の内容と似たもののように聞こえましたが、後半学生たちによる質問タイムが始まると、雰囲気が変わり、パネリスト方も先ほどより積極的に自分から発言を求めるように見えました。

 一人の学生が、岡田氏と松本氏の語る日本の若者の2次大戦に対する認識の違いについて指摘しました。岡田氏の場合、若者は2次大戦のことで中国に対する罪の意識は持ってる、そしてそれは隣国からの反感から生まれたものだという考えでした。

 一方松本氏の場合、若者は2次大戦はアメリカとの戦争で、アメリカに負けた戦争だと思ってるという考えでした。私はどちらも正しいと思いますが、ひとつ注目したいのは、私の知っている日本で作られたほとんどの戦争映画は2次大戦を後者のように描いてます。最近で言うと、「硫黄島からの手紙」や「僕は君のためにこそ死ににゆく」です。

 だから、日本でももっと中国との戦争をテーマにした映画を作ってほしいです。「鬼が来た!」みたいな。

 会場全体の雰囲気は思ったより柔らかな感じで、学生たちのお蔭もあってか笑いが多かったです。パネリスト方の発言もなかなか笑いを誘うものがありましたが、皮肉なジョークといったもので、会場が笑っても相手国側のパネリストは笑わないといった光景をよく見かけました。

 結局、アジアの未来についてどういったふうに話がまとまったかは、私も明日の報告会を見るのが楽しみです。

 

文責:黄

親カテゴリ: 2007年 第3回
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