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地方対話「日中の地域経済の連携と災害復興」
前半(経済交流)
7月2日午後に開催された分科会「地方対話」では、前半は、日中各々3名、あわせて6名のパネリストによって、経済交流に関する議論が行われました。日本側は、山田啓二氏(全国知事会会長、京都府知事)、溝口善兵衛氏(島根県知事)、鈴木寛氏(参議院議員、前文部科学副大臣)が、中国側は呂祖善氏(全国人民代表大会財政経済委員会副主任委員、元浙江省省長)、任学鋒氏(天津市副市長)、韓光明氏(中国人民対外友好協会副秘書長)が参加し、司会は増田寛也氏(株式会社野村総合研究所顧問)と袁岳氏(零点研究コンサルティンググループ取締役会長兼総裁)が務めました。
はじめに、全国知事会会長で京都府知事の山田啓二氏が、「今回のフォーラムでは、現在の日中関係は低調であるとの危機感がベースにあるが、それは東京中心の発想ではないか」と疑問を呈しました。地方からみると、この10年間で交流が飛躍的に発展しており、中国からの観光客が3.6倍に増えたことや、地方自治体が中国で開設した事務所数が3倍になったことを例に挙げました。その上で、「今後、地方がバラバラに行動している現状を、いかにシステム化していくかが課題」と指摘するとともに、「今年から知事・省長会議を交流訪問形式から議論を活発にするフォーラム形式に変更した」と報告しました。
次に、元浙江省省長の呂祖善氏が、「地方交流は、中日友好の大局を重視した上で、今後、第1に民間交流のプラットフォームを整備すること、第2に経済に加えて文化の交流を図ること、第3に若者の交流を図ることが重要である」と提言しました。
呂氏の提言を受けて、司会の袁岳氏はものづくりだけでなく「サービス業の交流を図ること」を、また、増田氏は「若者の交流が今後のキーワードになること」を、それぞれ指摘しました。
島根県知事の溝口善兵衛氏は、島根県の中国との経済・貿易、観光面での交流の現状を紹介。「寧夏自治区との友好協定による公的な交流が大きな役割を果たしている」として、訪問団の相互派遣、芸術団などの文化交流、島根大学等での留学生受け入れや国際共同研究などの学術交流、下水道技術に関する交流など、草の根レベルでの交流について報告しました。
天津市副市長の任学鋒氏は、神戸市と日中初の姉妹都市関係を結んでからの交流の経緯を紹介。その後、トヨタなど日本企業の進出が盛んになる経済を中心とした交流の時代を経て、現在、北九州市と共同で循環経済都市を目指しており、交流は第3段階に移行していると報告しました。また、呂氏の提言に賛意を示しました。
司会の袁氏はさらに、「若者だけでなく、高齢化社会における交流もある」と指摘しました。
地方交流について国、政府の立場からみてきた参議院議員で前文部科学副大臣の鈴木寛氏は、昨年訪問した北京、天津での経験から、「中国経済は医療、介護、教育などの充実を図る新しいステージに入っており、今後、制度や人材などの面で日本と交流する機会が考えられる」と報告しました。また、日中双方の若者が互いの国の先輩に教えてもらう「恩師プロジェクト」や、同世代同士の交流について紹介し、Face to Faceの交流や現場レベルでの交流の積み上げの重要性を指摘しました。
中国人民対外友好協会副秘書長の韓光明氏は、中国が友好関係を結んでいる都市の数は、世界全体で1887あり、うち日本が248で13%を占め、米国の219を上回って一番多く、都市間の市民、青年などの交流は心のつながりを育て、友好関係を構築する最良の方法と報告しました。
各氏の報告を受けて、袁氏は、日本側パネリストに対して「中国の地方の指導者は開発区に投資を招致しようとしているが、日本の地方政府はどう考えているか」と質問しました。山田氏は、「日本からは大企業の後を追うように、中小企業が中国に進出し始めている一方、ハイアールなどの中国企業が日本に進出する時代となりつつある。また、環境や医療の分野が、連携分野として考えられる」と述べました。溝口氏は「島根県への企業の進出は、中国など外資系を含めて、大歓迎」と応えました。
一方、増田氏が、中国側に対して、観光面での交流拡大について意見を求めたところ、呂氏は「ビザ発給や情報発信など協力できるところは多く、また、中国経済にとって工業発展を重視するだけでなく、観光などサービス業のレベル向上を図る産業構造の調整が必要」と指摘しました。任氏は、「ビザ申請手続きの緩和が重要であり、また、観光サービスについては日本の経験、ノウハウに学びたい」と応えました。
その後、パネリスト間で意見交換が行われました。
溝口氏が「中国のマーケットに関して、実務的な意見交換、対話の場があれば」と提起したところ、韓氏は「友好都市の担当部署との交流から始めればいいのではないか」、山田氏は「知事会としても今後、そういう場を設けてみたい」とそれぞれ応えました。
さらに山田氏からは「教育旅行の京都への誘致に努めているが、中国は広いので、統一的な窓口があればいい」、袁氏からは「いまの青年の交流は遊びの要素が少ないのではないか。アニメ、コスプレ、ネットゲームなど若者の共通の話題を掲げればいいのではないか」、鈴木氏からは「日本のアニメ専門学校、看護学校などとの交流も考えられる。同じ志を持つ若者同士が一緒に学び、一緒に遊ぶことがいいのでは」、呂氏からは「学校同士の交流が重要ではないか」など、活発的な意見交換がなされ、前半の分科会は終了しました。
後半(震災を踏まえて、どう協力するか)
7月2日午後に開催された分科会「地方対話」の後半では、日中あわせて9名のパネリストによる議論が行われました。日本側は、野田武則氏(岩手県釜石市市長)、井口経明氏(宮城県岩沼市市長)、山崎和夫氏(新潟県長岡市副市長)、広畑義久氏(埼玉県副知事)、山田啓二氏(全国知事会会長、京都府知事)、溝口善兵衛氏(島根県知事)が、中国側は陳昊蘇氏(全国政治協商会議外事委員会副主任、前中国人民対外友好協会会長)、王長遠氏(中国市長協会常務副秘書長)、瞿永安氏(四川省北川羌族自治県人民政府県長)が参加し、司会は引き続き、増田寛也氏(株式会社野村総合研究所顧問)と袁岳氏(零点研究コンサルティンググループ取締役会長兼総裁)が務めました。
はじめに、震災・津波による被災後、陣頭指揮をした岩手県釜石市市長の野田武則氏は、「想定外の大震災の教訓として、電気が寸断されて、市民にきちんとした情報を提供できなかったこと」を挙げました。また、「防波堤などの高さを上げたことが、逆に危機意識を薄めた」ということも指摘しました。さらに、仮設住宅入居など、その後の状況や、小学生たちが時間を追って避難場所を変えて助かった「釜石の奇跡」、中国からの水産実習生112人が全員助かったことなど、現地からの報告を行いました。
次に、四川省北川羌族自治県人民政府県長の瞿永安氏は、四川大地震後、人命救出を第一とした活動、3年間をかけた住宅、施設、新しい中心街の建設、日常生活の復興、人々の自力更生、他省や外国からの援助について、画像を交えて報告しました。日本からの援助に謝意を示すとともに、災害・復興の経験、ノウハウを共有、協力すべきとしました。
被災地の中で最も強力に集団移転を進めている宮城県岩沼市の井口経明市長は、宮城県沖地震には備えていたが、ガソリンが不足し、その結果として食料不足を招いたこと、国が全面的に復旧対策に乗り出した結果、住民の自主性が欠如してしまったこと、報道がされるかどうかによって被災地への援助に差が出たことなどを報告しました。その上で、早急に次の世代につながる復興を図る決意を示しました。
全国政治協商会議外事委員会副主任、前中国人民対外友好協会会長の陳昊蘇氏は、四川地震の際、被災地の北川県に対して経済発展地域の山東省が支援をしたペアリング支援が効果をあげたと指摘しました。こうした支援は国際的に、友好都市関係をもつ地方同士でも考えられ、国の動きを待たずに支援ができるとし、中日間には多くの友好都市関係やさまざまな交流があり、双方向で市民や団体などの寄付や支援活動などが考えられると報告しました。
中越地震を経験した長岡市の山崎和夫副市長は、「市民協調と交流の力による震災復興」と題して、2004年10月の中越地震の被災状況と、集団移転や、伝統、文化、およびコミュニティを守ることを念頭に取り組んだ復興事例、四川大地震からの復興に向け相互訪問や経験・ノウハウの紹介を通じて中国と交流を図ったことなどを、画像を交えて報告しました。
中国市長協会常務副秘書長の王長遠氏は、お互いに学び合い協力し合うことで災害にも対処できるとし、中日両国は地震など災害が多く、利用できる国土面積が少ない中で都市化が進み、都市機能の集中と災害対応という共通の課題を抱えていると指摘しました。防災面では、日本の都市公園法(1956年)や都市計画などのノウハウは、中国にとって参考になり、中日両国の都市、市長同士が防災、都市計画の分野で交流すること、市民の生活レベルで交流することが有益としました。
埼玉県副知事の広畑義久氏は、福島県の原発被災者の受け入れや、狭山茶の風評被害とその後の対応を踏まえて、消費者重視の姿勢やマスコミ対応の重要性を報告しました。
各氏の報告ののち、増田氏は「日本の災害対策基本法では国、県、市町村の役割が決まっているが、大災害ではグレーな部分がある。中国の場合は中央政府と地方の分担はどうなっているのか」と質問し、瞿氏は「まず県の資源を用いて支援を行うなど、役割分担は明確になっています。また、制度の良くないところがないか常に点検していくことです。こうした措置があれば震災にうまく対応できる」と応えました。
一方、袁氏は、「経験とノウハウを持つ日本でも、復興において一番難しい課題は何か」と問いかけました。野田氏は「想定にとらわれすぎると、住民の危機意識が薄まること」を挙げるとともに、四川地震の教訓を参考に東海市から得られたペアリング支援は効果があったと報告しました。井口氏も、ペアリング支援の有効性に言及するとともに、「国の対応が杓子定規で、臨機応変の対応がなく、明確な方針がなかった」と指摘しました。
この後、中国側からは、陳氏が「中国の四川地震で始まったペアリング支援、東日本大震災後の日本の被災者の秩序正しさ、情報を素早く安定的に伝えることなど、それぞれに学ぶべきところがある」、また、王氏が「中国は都市の防災計画、防災に関する制度を整備することが課題で、日本に学ぶことができ、交流を深めていきたい」と発言しました。
袁氏は放射性物質について質問したのに対し、増田氏が「食品などの基準、規制値は厳しくなっている。空間の放射線量は情報が公開されており、一部地域を除いては観光客を受け入れている」と答えました。
また、山田氏は、原子力は安全性確保と想定を超えた場合の対応との両面で考えておくべきだと指摘し、東日本大震災の教訓として、被災しないところが、どう支援するかの想定がなかったことを反省点に挙げました。溝口氏は、災害が起こる前の防災や減災の考え方、災害発生時の支援の必要性を指摘しました。
その後、会場から、産業の復興状況についての質問が出た。野田氏は「仮設の事務所や工場で事業を再開しているが、本格的な再建となると新たな土地を見つけ、協議などを行い、2~3年かかってしまいます。再建できるか、持続できるか、雇用が確保できるか、心配している」とし、井口氏は、「農地は、高齢化が進んでおり、大規模化を図るなど国と相談して検討している。今まで企業のほとんどは再開している」と答えました。
また、被災者の心理面の復興についての質問に対して、日本側から、井口氏が「阪神淡路大震災の教訓をもとに、サポートセンターを立ち上げた。集落ごとに集まってもらい、声をかけてケアしていった」と答えました。中国側から、瞿氏が「ケアは持続が重要で、家族を失った人には政府、社会全体がサポートしている。ボランティアによるケア活動を継続している」と報告しました。
最後に、山田氏が、知事会と対外友好協会の間で、経済、観光、介護、環境、国際的な災害支援など、さまざまな問題を話し合うプラットフォームを構築する必要性を指摘して、「第8回 東京-北京フォーラム」の議論は終了しました。
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